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母とアスペっ子(私の幼少期)①

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私は、公立幼稚園の1年保育に通っていました。



私の家から、幼稚園までは、歩いて40分以上かかるところで、通常なら自転車で通う距離。



しかし、私の母は、自転車に乗れなかった(母は運動神経はよかったんだよ。)ので、

普通のバスで通っていました。




公立幼稚園なので、入園した頃は、すぐお迎えの時間が来てしまうし、

バスの時間を考えると、家に帰って、


家にタッチしてすぐに、お迎えに行かないといけないような感じだったので


母は、近所の母友と、幼稚園の砂場近くのベンチでおしゃべりしながら、


幼稚園の授業が終わるまで、私をまっていてくれました。





でも、2学期になってから、母は、私を幼稚園に送り届けた後、家に帰るようになったのです。




そこから私は、

大泣きして幼稚園生活を送ることになりました。




何故か、母がいないと不安で不安で、涙がとまらないのです。







幼稚園の夏休みに、母の実家に行って(私は、大阪。祖母の家は奈良。)

私は、祖母の家が好きだったので、夏休み中祖母の家に泊まっていました。


夏休みが終わって2学期が始まっても、祖母の家にいたので、


幼稚園に行ったのは、2学期入ってから、随分日にちがたっていました。





そんな感じだったので、1年保育の間は、ほとんど、幼稚園に慣れず、

幼稚園生活は、涙なしの日は、ほとんどなかったのです・・・




小学校に入学してから


さすがに、「母と離れて(T-T )という行為」は、恥ずかしかったので、

泣かずに通っていたのですが・・・



ときどき、私は、学校を「ずる休み」したくなるときがありました。




そんなときは、「しんどい。」「熱がある。」と、うそをついて、学校を休んでいました。






ある日、いつものようにずる休みをしていた日、

あまりに暇なので、リコーダーを家で吹いていました。



すると母が

「そんな笛、吹いたら、ずる休みしてるって、ばれるやん!!」


と言いました。



私は、

「えー!!ずる休みって、おかあちゃんは、知ってたん!?」


とすごく驚いたんです。



でも、母は、それからもずる休みを黙認していたので、

私は、学校に行きたくなくなると、

心置きなく休める状態でした。




小学校4年ぐらいまでは、学校にほとんど行ってないんじゃないかな・・・私。




小学校4年生ぐらいから、自分で

「ずる休みは、あかん」


と何故か、思うようになり、あんまりずる休みは、しなくなりました。(ときどきしたけどね。)



今から思うと、

とてもありがたい状態でしたよね。




このことがあるので、

私は、今まで、あんまりムリをせず、自分を壊さずに生きてこれたのかな。


なんて思うんです。



休みたいときは、休んでいいやって、思うことができます。



結婚してからそれが実行できないときがあるので、ときどき壊れそうになりますが

今までの経験がそれを回避できるようにしてくれていると思います。



でも、それを、私自身、子どもには、黙認できないでいます。


勝手だよね・・・


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